節分前日
なんか、えらくまともに書いたのだが、宗教くさくなったかも・・・。まぁ、「神様」って言うワード使ったこと自体で宗教と見られるのもなんですが…
見るのならば、ある程度の覚悟で見ていただきたいです…。あと、以後このような内容にならないよう、気をつけさせていただきます^^;
前置きは以上、異常ですね^^;
最近読んだ本に書いてあったのだが、節分とは神様を閉じ込めたことからの風習だとか…。
厳格な神様と副神(補佐的な神様)がいて、副神に世を任せて厳格な神様自身が閉じ込めになったそうだが、
最後に人間に「私は次、いつでればいいのですか?」
と問うたときに人は返事とともにソラマメを投げつけた。
「その豆から芽が出るまで出てくるな」
その豆は煮た物で、芽が出るはずがない。=「二度と出るな。」
厳格な神様を鬼と、副神を福と例えたのが節分だとか。
だから、鬼が外で、福が内。なおかつ、豆を投げる。
まぁ、なんとも良くできた話。信じる信じないも読者の自由でしょうが。
さてはて事実だろう、虚偽だろうとそんなのはかんけーない。ただ、私的な意見だが、仮にこの話を実話として見て
現在の世界情勢を見て、本当に古来からの行われた節分にて福がきたのだろうか?
飢饉や事故、果ては戦争、災害等、歴史と言うものは繰り返している。
(まぁ、そりゃ災害や飢饉は人力で防ぐことが無理なことも多いが)
逆に「鬼は内、福は外」だとどうなるのか?
ンナの知らん(ぇ。やったことないし、影響力なんてたかが知れてそうだし…。
どちらにしても食べ物(=豆)を粗末にするイベントと言ったらそうだ(汗
保育園などで子供たちが投げる光景を思い浮かべると確かに微笑ましい。
だが、粗末にすることを大人が、「イベントだから」「習慣・風習だから」と言って子供に教えるのはいかがだろうか?
豆を食べるのだけなら、まぁ、粗末にもしないわけだし、それに反対は致しませんが…。
しかし、まぁ、「です・ます」「だ・である」を文末に両者とも使ってます…。本当にすみません。時間ないので、また次回で(ぇー
まぁ、私の理想をこのブログで押し付けようとしていると見られたら本当にごめんなさい。
そんなつもり一切ありません。いつも変な内容ばっか書いているので、たまにはまじめに書いたつもりですが、
内容が内容でしたね^^;本当に気をつけたいです。
あくまでその本の内容が「事実と仮定した場合」について書かせていただきました。